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2017年5月14日(日)に古代ユダヤ遺跡発掘65周年記念式典・祭典を開催しました
https://www.youtube.com/embed/tKyxsEamCdw(ユーチューブ)
Please cooperate with everyone in the world
Please cooperate with everyone in the world.I am Kayo Uotani, organizer of this ceremony.
Given the situation in the world, we hold this ceremony with cooperation of many people.
Since we operate as a volunteer, we are short of funds.
Please ask you for the share and financial cooperation of those who can sympathize with the purpose of the ceremony and with this broadcast.
世界の皆様に協力お願いします。
今回の式典の主催者の魚谷佳代(淡路菰江古代ユダヤ遺跡奉賛会)です。
世界の情勢を鑑みて、やむにやまれぬ気持ちで今回の式典を皆様の協力を得て開催しています。
私たちは資金のない中でボランティアで運営していますので、この放送をみて式典と祭典の趣旨に共感できる方のシェアと資金協力をお願いします。
2017年5月14日(日)、淡路菰江古代ユダヤ遺跡発掘65周年記念式典・祭典を開催
案内チラシ表面(B4) ・ 案内チラシ裏面(B4)【当日開催プログラム(観音開き8P)〜編集途中】
当日開催プログラム表面 (開催に向けて協力していただいた方のお名前を記載しています)当日開催プログラム中面 (資金協力していただいた方のお名前を記載しています)
【式典】13時〜 洲本市文化体育館 文化ホール 古代ユダヤ遺跡発掘65周年記念講演会 <講師> エリ・コーヘン氏、本名孝至氏、魚谷佳代氏 |
【祭典】17時〜 夢泉景の海岸 淡路國一之宮 伊弉諾神宮様による祭典、 同時刻、出雲大社様でも執り行われています。 【直会】18時30分〜 ホテルニューアワジ 別亭 夢泉景 |
【講師】 エリ・コーヘン 元イスラエル大使 【講師】 本名孝至 伊弉諾神宮宮司 【講師】 魚谷佳代 淡路菰江古代ユダヤ遺跡奉賛会 |
1952年(昭和27年)の発掘時の玉串奉献 |
法螺貝(國分孝一)、剣祓い極典の儀(楢崎醍剛)、君が代とイスラエル国歌(倉原佳子) 月舞い(倭瑠七と倭社中)、天・地・人 結靈の舞音『あわうた・あわフラ』 |
2017年は、淡路島が日本遺産に認定されて1年になります
昨年2016年4月に淡路島が、海洋民族というストーリーに焦点をあて、日本遺産に認定されました。『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
〜古代国家を支えた海(あ)人(ま)の営み〜
淡路島が日本遺産に認定されて1年経た時期に、1952年(昭和27年)に発掘調査された洲本市の古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の発掘65周年記念の式典と祭典を、イスラエルの69回目の建国記念日に開催するのも、大きな歴史の流れに沿っていることなのでしょう。淡路島に、古代ユダヤ(イスラエル)遺跡が残されたと推測される経緯
紀元前722年に北イスラエル王国が滅亡し、さらに紀元前586年に南のユダ王国も滅亡します。それ以降、イスラエルの人々は「東の果て」(イスラエル国歌)を目指します。
この大きな民族移動のなかで、イスラエルの人たちの葦船船団が、日本にも渡ってきたらしい。
一番初めの葦船の大船団は沖縄、九州に渡ってきて淡路島をめざします。一部が九州を北上し、山口県に落ち着き、さらに一部は京都の丹後半島に落ち着いたらしい。
これ以来、イスラエルの人々は波状的に日本にやって来たらしい。
日本各地に残されている言語や文化の痕跡に、イスラエル民族との共通項を見て取ることが出来ます。
淡路島に入ってきた一団は、自分たちが到着した記念碑を残しておきました。
これが、出口王仁三郎氏が白山義高氏に調査・発掘を指示された淡路島に残る古代ユダヤ(イスラエル)遺跡です。淡路島の古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の発掘調査は、未来の「なんらかの出来事」を見越して出口王仁三郎氏が指示されているかのようにも見えてきます。
古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の調査は出口王仁三郎氏の指示で始まった
出口王仁三郎氏は、1935年(昭和10年)に淡路島の古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の調査を、次のような趣旨で白山義高氏に託しました。
< 如何なる理由を持たせるにせよ、戦争は戦争へと、全世界は戦場化して、神定の世の終末の審判が始まる。未来に戦争が収拾されるが、それはユダヤと日本の完全な提携による。 ユダヤと日本が完全に提携しない限り、戦争の原因動機となるユダヤとアラブの宗教戦の収拾はつかない。 宗教原理を示す雛形建設のため、淡路の神代村といふ地に大井戸を掘上げて貰ひ度い。 然し実際に、井戸掘り工事に着手するのは、10年先のことであるから、それまでに、淡路島の古文化遺跡(ユダヤ遺跡)の史料調査をして欲しい。 > |
こうして、1935年(昭和10年)に白山義高氏は出口王仁三郎氏から要所要所の差図を受け、淡路島の古代ユダヤ遺跡の調査に乗り出したのでした。
終戦の前年、白山義高氏は、1944年(昭和19年)8月1日(皇紀2604年)の日付の書面をもって、ユダヤに対して「聖書に啓示されている合図の旗」と題する20頁の勧告書を送りました。
この勧告書は日本政府(情報局総裁宛)を経由し、米英ユダヤ聖徒へ送られました。
白山義高氏はこの勧告書で、ユダヤ教徒に
「合図の旗をたてよ」
と促したのです。
淡路島の古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の発掘を依頼した出口王仁三郎氏は、イスラエルの建国を見ることもなく、1948年(昭和23年)1月19日に亡くなります。
出口王仁三郎氏の亡くなった1948年(昭和23年)5月14日にイスラエルは建国されました。
このイスラエルの建国こそ、「エルサレムを建て直せという命令」(ダニエル書)が出された瞬間と捉えられたものでもあります。
終戦から7年経た1952年(昭和27年)10月14日、白山義高氏の勧告書に応えて、日本占領軍総司令部に従軍牧師として活動されていたユダヤ教大司教テー・ローゼン牧師が淡路島にやってこられました。
10月14日に「四洲園(現在の夢泉景)の古代ユダヤ遺跡に日本の国旗とイスラエルの国旗を交差して掲揚し、発掘祭典(玉串奉献)が行われました。
10月15日9時から、白山義高氏の鍬入れによって、発掘調査が始まりました。
そして10月16日、海岸に突出した盤岩の岬に秘められた問題の古代淡路文化遺跡の実相が、多人数立会いの許に確認されました。
その遺跡というのは、意外にも、自然の盤岩の裂目を巧みに利用し、その上に鑿(ノミ)の無い時代の工作を想はせる 火と水との作用で製作した 女の陰所(ほど)の彫像でした。 ローゼン氏は淡路島に到着した14日の夜の洲本市第二小学校・講堂での講演会で、ユダヤ聖教徒を代表して次の宣言をされています。
< 世界に幸福と平和をもたらすものは、この二つの国旗であります。
太陽と星とであります。太陽は昼の世界を照らします、この星は夜を司る司会者なのです。
全世界が悩みの時は、この暗黒の世界を導くものは星であります。太陽も世界に正義の観念を与えます。
この二つがお互いに手を組んで進んでいこうではありませんか。
偉大なる太陽の国シオンよ、眼を醒せ!
その努力と貢献は必ずや世界に平和と幸福をもたらすでありましょう。 >
と、敗戦に打ちひしがれている日本国民に呼びかけられたのでした。
洲本市第二小学校の講堂での講演に参加された方たちは感動に包まれたということでした。 以上のように、洲本市の古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の占める位置は特殊で、未来のある時期に何らかの役割を果たすように神定されているかのように見えます。
イスラエル(ユダヤ)問題は日本の国体や国論を左右しかねない問題を含んでいる
日本へのイスラエル民族の大量移入という出来事をどのようにとらえるのかという問題は、日本の国体や国論を左右するような話題・論点を含んでいるため、正面から取り扱いにくいという現実があります。しかも、伊勢神宮の在り方や、伊勢神宮の御神宝の内実に及びかねない議論もあるので、厳重なる慎重さを求められる性質の事柄になっていました。
戦前・戦中・戦後にこういうイスラエル問題に深い関心を寄せられ、イスラエル問題の精神的支柱になられていたのは三笠宮崇仁殿下でしたが、その殿下も2016年(平成28年)10月27日に100歳で薨去されました。
こういう時代の流れを鑑みても、時代の大きなウネリが始まったという感じがしてきます。
日本とイスラエルの関係については、いろんな主張や様々な論点があります。そんななかにあって、洲本市のイスラエル(ユダヤ)遺跡は過去にユダヤ教の司祭が1952年(昭和27年)10月にやってこられて共に発掘調査をされているという事実が残っていますので、国体に関わりそうなデリケートな問題の渦中にはいることなく、日本神道の格式をもって式典や祭典を行える日本で唯一特別な位置が与えられています。
次では、ホテル夢泉景(旧、四洲園)の古代ユダヤ(イスラエル)遺跡に関わった方々の状況をお伝えします。
古代ユダヤ(イスラエル)遺跡に関わった方々の状況
古代ユダヤ(イスラエル)遺跡が発見された場所は、小磯海岸と呼ばれていた場所にあって、昔から「祟り」がある場所として地元の人には知られていました。この小磯海岸の岩場を、昭和3年に四洲園のオーナーの森重吉氏が購入しました。1934年(昭和9年)9月に森重吉氏が、旅館の湯殿拡張のために岩場を整地していたところ、岩蓋のある遺跡のようなものを掘り起こし、
「大変なものを掘り起こしてしまった」
と言ってすぐに埋め戻したといいます。しかし森重吉氏は翌日急死してしまいました。
そして、直後に1934年(昭和9年)9月21日に高知県室戸岬付近に上陸した室戸台風によって洲本市が甚大な被害を受けたので、土地の人は、
「遺跡を掘り起こした祟りではないか」
との噂になったようです。
次にこの古代ユダヤ(イスラエル)遺跡に光が当てられたのは、先に説明したように18年後の1952年(昭和27年)のことでした。
1952年(昭和27年)当時は新聞などで世間の脚光を浴びたようなのですが、星霜を経るにつれて忘れ去られ、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風の甚大なる被害で、1952年(昭和27年)に埋め戻した跡が解らなくなっていたようです。
四国剣山顕彰学会(高根三教氏)のメンバーの方々が1952年(昭和27年)の遺跡跡の場所を定め直そうとして再発掘されたといいます。
しかし、遺跡は再発掘の後に埋め直されずに、ブルーシートを掛けたままの状態にしておかれた。
この遺跡を埋め戻されずにブルーシートを掛けて置いた時期に、四洲園のオーナーは、癌で入院していました。四洲園のオーナーの入院の話を耳にした魚谷佳代さん(今回の式典と祭典の発起人)は、
「遺跡を掘り返したために、先代さんも昭和9年(1934年)9月に急死なさっている。早く遺跡を埋め戻してください」
と四洲園の社長の妹さんにお話しされ、遺跡が埋め戻されたそうです。
それからほどなくして、四洲園の社長さんは無事に退院され、その後、四洲園の会長になったといいます。
2017年現在の四洲園の経営権は、2011年にホテルニューアワジグループに移り、夢泉景となっています。 こういう経緯をふり返ると、この古代ユダヤ(イスラエル)遺跡には、何らかの特別な呪術が入っているかのようです。
瓊々杵尊が木花咲耶姫と岩長姫を娶ったあと、岩長姫の「見にくい(醜い)」領域、つまり、音や匂いや熱の領域を大山祇神にお返しになられたため、岩や石に秘められている領域の呪術を天孫族の末裔は知りにくくなってしまいました。
そのため、どういう呪術が入っているかは不明ですが、この古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の一部を構成している「女の陰所(ほど)の彫像」は、伊邪那美命のミホトそのものの可能性があります。
伊邪那美命の焼けただれたミホトの痕跡が古代ユダヤ(イスラエル)遺跡のある小磯海岸に元からあって、この場所をユダヤ(イスラエル)人が発見し、「女の陰所(ほど)の彫像」に自分たちの思いを重ねあわせて自分たちの記念碑の一部にされた、と推測できます。
三重県熊野市の花窟神社では、伊邪那美命と迦具土命を祀っていますが、花窟神社には「ミホトが焼かれた」と感じられるような場所はありません。
『古事記』に「伊邪那美命のミホトが火傷して病気になった」と記述されているので、日本のどこかにその痕跡はここだ、という風にあってもおかしくないはずなのですが、日本の各地の神社でそれらしい伝承をもつ場所はありません。
この古代ユダヤ(イスラエル)遺跡こそ、伊邪那美命の焼けただれたミホト跡なのかもしれません。
この古代ユダヤ(イスラエル)遺跡が迦具土命を生んでミホトに火傷を負った場所であるとすると、その場所に無防備で近づくと、伊邪那美命が命を落とした因縁を引いてしまうのでしょう。
だから、生命を落としたり、災いが降りかかったりする。
こういう因縁で出口王仁三郎氏は、淡路島の御神業は、「白山」の霊統を持つ人物がやるものとされていたのだと思われます。
幸いにして今回の式典と祭典の呼びかけ人は株式会社味きっこうの魚谷佳代さんで、魚谷家は8代前の亀太郎さんの時代に加賀前田家から養子に入った方の血筋で現在までつながっていますので「白山」の霊統を持ちます。
2017年5月14日は69回目のイスラエル建国記念日に当たっています
本年の2017年5月14日は69回目のイスラエル建国記念日(建国:1948年5月14日)です。ダニエル書に
「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週ある」
と記述されているため、『旧約聖書』の民であるユダヤ(イスラエル)人は、『ダニエル書』に記載されているように、イスラエル国家が建国された1948年5月14日から69週後にイスラエルにメシアが現れることを期待したといいます。
しかし、1948年5月14日から69週後の1949年9月9日にメシアは現れませんでした。
イスラエル国家が建国されてから69週後にイスラエルにメシアが現れなかったという事実を踏まえ、1960年代から、「週」の解釈は、実際は「年」と置き換えてもいいのではないか、という説が急速に台頭してきました。
そして、ダニエル書の「69週」とは、イスラエル建国から「69年目」の2017年に違いないと、2017年を待ち望むようになってきたようなのです。
しかし、この「69週」が2017年に合致しない場合、1週を7年と解釈することになるらしい。
69週×7年=483年。
つまり、1948年+483年(69週×7年)=2431年が、『ダニエル書』が指定する「メシア登場」の時になる。 『ダニエル書』のような『聖書』の預言はイスラエルや欧米ではかなり研究されていて、こういう預言を念頭において、現実の政治が行なわれているらしい。 核兵器や超常兵器が充満している現代を生きる我々にとって、終末を「1948年+483年(69週×7年)=2431年」という風に考えるのはピントがズレていると思われます。 混迷を極めている現代社会の動きのなかで、微々たることではありますが、「東の果て」(イスラエル国歌)にある日本から、イスラエルの建国記念日に淡路島にある古代ユダヤ(イスラエル)遺跡の発掘記念の式典を執り行うことは、世界の論調を明るい方向に向かわせる一助になるのではないかと思っています。
イスラエル国歌の歌う「東の果て」にある日本から、日本神道の格式をもって、古代ユダヤ(イスラエル)遺跡を顕彰しているという知らせを聞いて、世界に散らばるユダヤ民族がどのように思われるでしょうか?
『聖書』に書かれているように、「東から知らせ」が届いたと感じ取ってくれるでしょうか?
ダニエル書ではイスラエルの民に救いをもたらすのは「ミカエル」です。
その「ミカエル」というのは日本の国論の象徴だったのだ、と感じ取ってくれるでしょうか? 私たちの個々人の力は限られていますが、定められている時に、定められていることを粛々と行うことが、次の時代に幕開けになってくれることだと信じています。
今回の式典と祭典は歴史的な祭典です
第一点。長い間秘密にされてきた、伊邪那美命の火傷した「ミホト」かもしれない場所での祭典になっている点。 第二点。
戦前・戦中・戦後に活躍された出口王仁三郎氏の教示に基づいて発掘調査が行われた場所での祭典である点。出口王仁三郎氏の教示がなければ、古代ユダヤ遺跡の発掘に至っていないと想像できます。 第三点。
ローゼン師によって古代ユダヤ遺跡と認定されていた点。 第四点。
「エルサレムを建て直せという命令が出てから」69年後の祭典であるという点。
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今回の式典の主催者の魚谷佳代です。
世界の情勢を鑑みて、やむにやまれぬ気持ちで今回の式典を皆様の協力を得て開催しています。
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1、1935年(昭和10年)に、出口王仁三郎氏に白山義高氏が依頼を受ける2、1935年(昭和10年)から、発掘調査の開始
3、1952年(昭和27年)10月14日、T・ローゼン師の講演会の全文「ユダヤ人の歩んだ道」。
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2017年4月19日号、伊邪那美の火傷を負った女陰(ミホト)2017年4月27日号、ダビデ紋の指輪・鹿の紋様の指輪、漬物石
2017年5月6日号、Rabbi Mendi Sudakevichi「漬物石」の文字は2700年前頃のもの 特定商取引法に基づく表示 | 個人情報保護方針